負け戦には慣れている【佐賀/高尾】
筑後川河川事務所での検査の後、足を伸ばして佐賀の水路に行きました。
毎年桜の季節に訪れて、工事の進捗状況や施工後の状況を確認しています。
最上流部の第Ⅳ工区。最初に検討を行い、最初にできたところです。
求められる流下能力が比較的少なく、設計にも余裕がある区間でした。
区画整理事業地内から集められ、移植された桜が満開でした。
土系舗装にした歩道には、足跡や自転車の車輪の後がたくさんありました。
ただ、法面は崩れやすかったようで、丸太でとめる応急処置がされていました。
植生も外来種が多く、この二点は反省材料です。
下流に進んで第Ⅲ工区。二番目に検討し、施工された区間。
設計条件の余裕がなくなり、単調な水路線形。
水際に植生を施すことに集中し、法肩は堅い感じです。
ただ、この区間の植生はヨシのようで、ある意味整備前のクリークに最も近い風景かもしれません。
ここまでは林、粟生コンビ時代ですね。
ここから先は田浦時代。検討の中でコンサルの方と「田浦ライン」なんて呼んでいた
公園横の水路線形がだいぶ施工されていました。
既存樹木も提案より若干少ないけれど残してくれています。
公園用地も含めて一体的に設計することができたので、
土の法面を余裕を持って設計することができた区間です。
整備前のクリークの風景を最もよく残す区間になる、と期待しています。
JRの線路から下流側の第Ⅰ工区の上流半分。神社の横の区間。
市の担当者の思い入れのあった紅葉が植わっていました。
彼の誠実な人柄を思い出しました。
ここから下流側はもはやクリークの風景ではないけれど、
自分たちが関わることによって少しでも良いものになれば、
そう思いながらかかわり続けた区間でした。
最下流部、第Ⅰ工区の下流半分。もうひとつの公園の横の区間。
枝の水路からどんどん水が流れ込んで来るので、下流になるほど設計条件が厳しくなります。
ここはもうどうにもならない状況でしたが、法肩に少し緑を植えて、堅さを和らげるようにできました。
初めて現地を訪れたときに広がっていた美しい水田とクリークの風景はもうないし、もう戻らない。
「その記憶のかけらでもこの水路の風景に落とし込むことができただろうか」、そう自問しながら歩きました。
「できなかった」、と思いました。
このプロジェクトはやっぱり負け戦だった。
コンセプトと基本計画の間の大きな隔たりに柔軟に対応することができず、
また、検討体制をコントロールすることができずに、ボタンを掛け違えたまま
住民の方々に対して強引なプレゼンをすることになってしまった。
でも負け戦にも負け方というものがあるし、負け戦から学ぶこともたくさんある。
誠実に関わり続け、常にベストをつくす姿勢を貫いたことには後悔はない。
ここで得た経験、やりきれなかった思いは、いつか別の場所でリベンジをしよう。
ともに闘ったみんなもそれぞれの場所でこの経験を活かしてください。
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