風景と地域づくりの
出会いと発見DIARY
一般社団法人LSDは、プロジェクトや研究を通じて、九州各地の風景・地域づくりに取り組んでいます。地域の人達と未来を語り合う、デザインについて現場で喧々諤々議論する、素敵な風景や食文化を見つける、地域の人達との長いお付き合いが始まる…風景・地域づくりの中で、たくさんの出会いや発見、感動が生まれる毎日。そんな日常をお伝えしていきます。
September 20, 2016
子供たちの思い描く未来の道は?[大分/大瀬]

こんにちは
修士1年の大瀬です。
9月17日(土)
大分市の長浜小学校でワークショップを行いました。
テーマは、
「どんな道がいいだろう?
 ?中島錦町戦の将来の姿を描いてみよう?」
この中島錦町線は、
戦国武将大友宗麟の館があった通りです。
現在は、小学校や住宅地に面している一般的な道路ですが、
大友宗麟やザビエルの歴史との関連や、人々から親しみやすい道になるために
どんな道がいいだろう?ということを地域のみなさんと考えています。
7月に、小学校の子供達、地域の方々と一緒に、現地見学を行いました。
大友館周辺の遺跡発掘が行われており、子供達も興味津々でした。
今回は、その現地見学のときを思い出して、
将来、どんな道がいいだろうと、想像を膨らませ、子供たちに絵を描いてもらいました。
約40人の子供たちが集まっていれくれました。

はじめ!と言った瞬間、子供達は夢中になって書き始めました。
大きな木、花畑、噴水、店(花屋さん、本屋さんなど)、人々が集まるベンチ、池、自転車置き場、大友宗麟やザビエルの像、などなどなど、、、
子供達の発想力はおもしろいですね。

絵を描き終わった後、みんなでカレーをいただきました。
私たちの分まで用意して下さり、ありがとうございました。美味しかったです。
上の写真の右下は、修士2年生の鮫島さんです。
子供達からも大人気で、よく溶け込んでいます。

カレーをいただいている間に絵が乾き、最後にみんなで記念撮影

完成した絵は、小学校の外のフェンスに貼りました。
その長さ、なんと、23m!
道行く人々に見ていただき、関心を持っていただけたらうれしいです。
July 19, 2016
大分WS第1回開催 [大分/大瀬]

こんにちは

修士1年の大瀬です。
新しいプロジェクトが始まりました!

7月16日(土)

大分市長浜小学校にて第1回目のWSが開催されました。
現在の大分市錦町周辺は、14世紀から16世紀にかけて、大友氏により「豊後府内」という都市が作られた場所です。
来迎寺、大雄院、唐人町など、当時の寺院や町名が現在でも残っています。
また、中島錦町線という道路の拡幅工事に伴い、昨年12月より遺跡調査が行われています。
長い目で見たときに、大友氏の歴史深い中島錦町線が、どのような道路であってほしいかを、地域のみなさん、子供達と一緒に考えていきます。
第1回目のWSは、当日蓋を開けてみると、元気いっぱい、興味津々の子どもたちが約40名、大人が約20名集まりました。
まずは、子どもたちと一緒に、ある2人の人物のお面を作りました。
一人はキリシタン大名・大友宗麟、
もう一人は、大友宗麟が世界の情報を手に入れるために招待したというフランシスコ・ザビエルです。
このお面をかぶることで、子どもたちが2人の人物に対し親近感、愛着を持ち、そして、この2人の時代をイメージしながら現地見学をしてもらうことが狙いでした。
現地見学では、対象の道路、発掘現場2カ所に行きました。
発掘現場では、現在も発掘作業が行われており、目の前で壺の破片や当時の硬貨が見つかり、子どもたちも興味津々でした。
発掘現場の話は、少し難しかったかな・・・とも思いましたが、
いつも通っている小学校の目の前の道が、実は歴史的な道だということに気付いてもらえたと思います。
次回は9月に第2回目のWSを行います。
今すぐには実現できないこと、すぐできることもすべて含めて、
具体的にどんな道にしていきたいのかという、地域のみなさんのイメージ、アイディア、夢を絵にしてもらいます。
May 15, 2016
大分市中島錦町線現地視察【大分/榎本】

5月10日、11日にかけて、樋口先生と榎本で今年度、アドバイザーとして関わらせていただく大分市の中島錦町線の現地視察に伺い、今年度は中島錦町線沿道の小学校に通う子供たちと中島錦町線の将来像を考えるワークショップを行うことになりました。
 今回の現地視察では、主に中島錦町線の工事区間を大分市の都市計画課、建設課、文化財課のみなさんに案内して頂きました。
 この中島錦町線は、大伴宗麟の屋敷跡の遺跡にかかる道路で、中世の大分の中心地であり、メインストリートであった場所です。中世時代は今より海岸線がもっと南にあり、中島錦町線の北端あたりに船が着いており、中島錦町線の工事前に行われている発掘作業では外国との貿易でやり取りされた外国製の陶器などがたくさん出土しているそうです。そうした出土品も実際に見せて頂きました。
近世になり、海側の埋め立てが行われ、町の中心は現在の府内城跡周辺に移動していくわけですが、大分市のまちの中心が、古代、中世、近世と上野丘、大分川、海岸線との関係で移り変わっていくという話はたいへん興味深いものでした。
 大分市は戦災復興の結果、残念ながら近世以前の町の履歴について多くは失われてしまいましたが、中島錦町線周辺はそれでも中世時代の歴史を感じられる場所が残っており、今後の大分市の景観づくりを考える上で大切な場所だと思いました。

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